フェンシングは「剣の速さ」ではなく「戦術の深さ」で勝敗が決まる競技です。初心者同士の試合では素直なアタックが通りますが、中級以上になると戦術を知らない選手はどれだけ練習しても勝てなくなります。「練習ではできるのに試合では勝てない」と悩むフェンサーの9割は、技術不足ではなく戦術不足が原因です。
この記事では、ヘッドコーチ川村京太(第75回全日本フェンシング選手権大会・男子フルーレ個人優勝)が現場で実際に使う7つの基本戦術を、初心者〜中級者向けに解説します。各戦術の「使う場面」「よくある失敗」「練習方法」まで、試合直結で使える形でまとめています。
そもそもフェンシングの「戦術」とは何か
戦術と技術の違い
技術は「パリーを正しく決める力」のような個別動作のこと。戦術は「この場面で何の技術を出すか」という状況判断のことです。試合では、同じレベルの技術を持つ2人が戦った時、戦術の差でほぼ100%勝敗が決まります。
戦術の3層構造
- マイクロ戦術 - 1ポイントのやり取りの中での駆け引き
- ミドル戦術 - 試合前半・中盤・終盤での方針
- マクロ戦術 - 相手のタイプ分析と対戦計画
本記事の7つの戦術は、主にマイクロ〜ミドル戦術を扱います。
戦術1:攻撃権(プリオリテ)を先に取る
フルーレ・サーブルでは、先に剣先を前に伸ばして攻撃を開始した側が攻撃権を持ちます。同時に打ち合った場合、攻撃権がある方にポイントが入ります。
実戦での使い方
- 試合開始と同時に、小さくでも剣先を前に出す動作を作る
- 相手が受け身に回った瞬間に本攻撃に切り替える
- 攻撃権は「持っている感覚」を主審に伝える演出力も必要
よくある失敗
- 剣先を引いた状態で前進してしまう(攻撃権は発生しない)
- 攻撃中に剣を横に振ってしまう(攻撃権が切れる)
- 相手の剣に触れた瞬間に攻撃権が相手に移るパターンを理解していない
練習方法
- 壁相手に「剣先突き出し → 前進」を1日20回、2週間
- 練習試合で「攻撃権を取る回数」だけを数える
エペ選手向けの補足
エペには攻撃権ルールがありません。その代わり、先に触れた方が1ポイント、同時なら両者1ポイント。そのためエペでは「相手より先に」ではなく「相手に当てられずに当てる」が主眼。戦術1の適用は主にフルーレ・サーブルに限られます。
戦術2:パリー・リポストで主導権を奪う
相手の攻撃を剣で払う(パリー)と、攻撃権が相手から自分に移動します。そのまま反撃(リポスト)すれば、相手は無防備の状態で突きを受けます。
コツ
- 相手のアタックに合わせ、大きく剣を振らない(小さく確実に払う)
- 払った瞬間、指先を真っすぐ相手へ伸ばしリポストへ繋げる
- パリー後の0.3秒以内にリポストを出すのが理想
パリーには「4番」「6番」「7番」「8番」など方向別に技術がありますが、初心者はまず4番(内側)と6番(外側)の2種類だけを徹底的に体に入れます。
中級者向けの応用
- コントル・パリー(円を描くパリー) - 相手のフェイントを飛び越えて捕まえる
- パリー・リポスト・コントル・リポスト - 相手のリポストを再びパリーして返す
- ブロンド・パリー(柔らかいパリー) - 衝撃を吸収してから返す、熟練選手向け
よくある失敗
- パリーが大きすぎて戻りが遅い
- パリーの方向が相手の突きと合わない(練習での方向確認不足)
- リポストが甘い(払った時点で満足してしまう)
戦術3:間合い(リーチ)を自在に変える
初心者と中級者の差は、間合いの読みです。熟練者は常に相手との距離を「自分の一歩分遠い」位置にキープしています。
間合いを管理する3原則
- 相手が前進したら、同じ距離だけロンペ(後退)する
- 相手が止まったら、じわじわマルシェ(前進)で間合いを詰める
- ファント(突き)の直前は、意図的に間合いを詰めきらない(読まれる)
3つの間合い
| 間合い | 距離の目安 | 特徴 |
|---|---|---|
| 遠間 | 2ファント以上 | どちらも攻撃不可、呼吸を整える距離 |
| 中間 | 1ファントの距離 | 攻撃・パリー両方が可能な主戦場 |
| 近間 | 腕を伸ばせば届く距離 | 短い攻防、フレーズが速くなる |
練習方法
- 間合いキープ練習 - コーチが自由に前後移動、生徒は常に「1ファント + α」の距離を維持
- 間合い変化 × 攻撃 - 急に詰めて攻撃、急に離して待つ、を交互に
戦術4:フェイント(偽攻撃)で相手の防御を崩す
真っすぐ突くだけでは、相手のパリーに止められます。偽の攻撃で相手の剣を引き出し、本命の攻撃を別の角度から入れるのがフェイントです。
基本フェイント
- 内側を突くフリ → 相手が4番パリー → 外側(6番)に切り替えて本攻撃
- 高い位置を狙うフリ → 相手が上に反応 → 腹を突く
フェイントが効く条件
- フェイント自体がリアルである - 明らかに嘘だと通じない
- 相手がパリーしてくるタイプ - ただ下がるタイプには効かない
- 自分の剣先が常に相手を向いている - 攻撃権維持のため
上級フェイント例
- 1-2(アン・ドゥ) - 内側フェイント → 外側本攻撃
- 1-2-3 - 2段階フェイント後に本攻撃、熟練選手向け
- ディスエンゲージ - 相手のパリーの下を剣をくぐらせて突く
戦術5:ストップ・ヒット(相手の準備を潰す)
相手が大きな動作で攻撃準備をしている瞬間、相手が剣先を前に伸ばす前にこちらから攻撃権を取って先に突く戦術です。
使う場面
- 相手がバロンド(ジャンプ)を準備している
- 相手が大きく踏み出す予備動作を見せた
- 相手の呼吸が乱れた瞬間
ストップ・ヒットのリスク
- 相手の攻撃権が既に発動していると、こちらのポイントは無効
- タイミングが遅いと、相手の攻撃とぶつかって両者ダブル
- ブロック力を持つ相手には効きづらい
練習方法
コーチが大きめの予備動作を見せ、生徒が予備動作の瞬間を見抜いてストップ・ヒットを出す。反応速度と読みの両方が鍛えられます。
戦術6:心理戦・リズム崩し
同じリズムで攻撃すると、相手に読まれます。3回連続で同じパターンを使った後、4回目を大きく変えると相手は対応できません。
リッツでよく教える「3-1ルール」
- 3回連続で直線的なマルシェ・ファント
- 4回目でバロンド → 違う角度からのファント
- この瞬間、相手のパリーは空を切る
心理的揺さぶり技
- 挑発的な構え - わざと剣先を下げて「攻めていいよ」と誘う
- 呼吸の乱れ表現 - 肩を大きく動かして疲れを演出、相手を油断させる
- 完全静止 - 2-3秒動かず、相手が焦って動いた瞬間に攻撃
リズム崩しの失敗例
- 自分が先にリズムを崩してしまう
- パターン化されすぎて「3-1」自体が読まれる
- 心理戦に集中しすぎて技術が疎かになる
戦術7:試合の時間管理
3分5点先取のプール戦では、リードしている側は時間を使い切る戦術が有効です。
リード時
- 自分から攻めず、相手の攻撃を待ってパリー・リポストで返す
- ピスト後方に下がり続けて時間を消費する
- 残り30秒でリードしていれば、意図的にクラッシュしない間合いをキープ
ビハインド時
- 積極的に攻撃を仕掛ける
- 攻撃権を取ってダブル(同時ヒット)を狙う
- 残り時間と点差から逆算した「1ポイントにかけられる時間」を計算する
同点・僅差時
- 時間ギリギリでの同点は「プリオリテ」(主審による攻撃優先権決定)になるため、攻撃の姿勢を示す
- 最後の10秒は「動きを見せる」ことが重要(受け身だと主審心証が悪い)
相手タイプ別の戦術選択
攻撃型の相手に対して
- パリー・リポスト戦術が有効(戦術2)
- 相手の攻撃を誘い、すり減らす
- 自分は動き少なく、カウンター主体
守備型の相手に対して
- フェイント戦術が有効(戦術4)
- パリーを引き出してから本攻撃
- じわじわ間合いを詰めて圧をかける
テクニカル型の相手に対して
- リズム崩し戦術が最重要(戦術6)
- シンプルな攻撃の繰り返しで逆に惑わせる
- 相手の得意パターンを封じる
戦術の練習方法
これらの戦術は、対人練習なしに習得できません。鏡の前で練習するのは基礎動作まで。戦術は必ず相手との攻防の中で磨かれます。
リッツフェンシングアカデミーでは、レッスン後半30分を必ず「戦術スパーリング」に充てています。コーチが「今日はパリー・リポスト縛り」などテーマを決め、特定戦術を集中強化します。
レベル別戦術習得ロードマップ
- 初心者(0-6ヶ月): 戦術1・2のみを徹底
- 初中級(6-18ヶ月): 戦術3・4を追加、間合いとフェイントを習得
- 中級(1.5-3年): 戦術5・6で心理戦と先読みを磨く
- 上級(3年以上): 戦術7で試合全体の時間管理、対戦相手分析を加える
よくある質問(Q&A)
Q1: 戦術はどれくらい練習すれば身につく?
A: 戦術1・2は3-6ヶ月、戦術全体の習得には1.5-3年が一般的です。大事なのは量より質で、1つの戦術を反復してから次へ進むのが鉄則です。
Q2: 試合でパニックになった時はどうすれば?
A: 基本に戻って戦術1(プリオリテ)と戦術2(パリー・リポスト)だけを意識します。複雑な戦術を考えようとすると失敗しやすいです。
Q3: 動画で戦術を学べますか?
A: 部分的には可能ですが、実戦での判断力は対人練習でしか鍛えられません。動画は「概念を理解する」ツールとして使い、体得は道場で。
まとめ:戦術が技術を活かす
- 技術は土台、戦術は勝利への設計図
- プリオリテを先に取る・パリーで奪う・間合いを支配するの3つが最重要
- フェイントとリズム崩しで相手の予測を壊す
- 時間管理は試合勝率を大きく左右する
- 戦術は対人練習でしか身につかない

